バナナの叩き売り
バナナの叩き売り
1903年以降、バナナの産地、台湾から地理的にも近いことから、バナナが大量に荷揚げされていた門司港。
その後大正時代初期に、輸送中に熟れてしまったバナナなどをできるだけ早く換金する手段として、独特の口上とともに売りさばいていたことが「バナナの叩き売り」の始まりです。
現在では門司港名物の伝統芸能として親しまれ、門司港レトロ地区では週末やイベント、お祭りの開催時などに、威勢のいい口上を聞くことができます。
また、関門海峡ミュージアム2Fの「門司港バナナ史料室」では、バナナの叩き売りのルーツや懐かしの郷土資料などをご覧いただけます。
住所 | 【門司港バナナ史料室】北九州市門司区西海岸一丁目3-3<>br関門海峡ミュージアム(海峡ドラマシップ)2F |
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電話番号 | 門司区総務企画課 093-331-1881 |
HP | http://www.city.kitakyushu.lg.jp/moji/w1100368.html |
バナナの叩き売り口上
弥生のお空に桜散る
奥州仙台伊達公が
何故にバナちゃんにほれなんだ
バナちゃんの因縁を聞かそうか
生まれは台湾台中の
阿里山麓の片田舎
土人の娘に見染められ
ボーッと色気のさすうちに
国定忠治じゃないけれど
一房二房もぎとられ
唐丸籠にとつめられて
阿里山麓をあとにして
ガタゴトお汽車にユスられて
着いた所が基隆港
基隆港を船出して
金波銀波の波を越え
海原遠き船の旅
難関辛苦のあかつきに
ようやく着いたが門司ミナト
門司は九州の大都会
仲仕の声も勇ましく
エンヤラドッコイ掛声で
問屋の室に入れられて
夏は氷で冷やされて
冬はタドンでうむされて
八〇何度の高熱で
黄色のお色気付いた頃
バナナ市場に持ち出され
一房なんぼのタタキ売り
サアサア買うたサア買うた
こういうバナちゃん六〇〇円
買わなきゃ五九五八か
五んぱちゃ昔の色男
それにほれたが小むらさき
五八高かけりゃ五五か
ゴンゴン鳴るのは鎌倉の
鎌倉名物鐘の音が
かねが物言う浮世なら
奥州仙台伊達公に
何故に高尾がほれなんだ
も一つ負けとけ五一か
吾市馬関で腹を切る
五〇負けて四九か
お次を負けて四八か
四八ちゃ久留米の連隊で
いつも戦に勝ちどうし
私しのバナちゃん負けどうし
そら冗談そらうそよ
ハイハイありがとさんハイハイ
サアサア売れたサア売れた
今の兄ちゃん有難うさん
コウいうバナちゃん買う兄ちゃん
末は博士か大臣か
青年団なら団長さん
これも負けとけ三五か
買わなきゃ三四三三か
三三九度のさかずきで
新郎新婦が出来あがり
こんな目出度いことはない
ついでに負けとけ二八か
年は二八か二九の
江戸で云うなら玉川の
京で云うなら加茂川の
水にさかせしあら玉の
私のバナちゃん買いなはれ
色は少々黒いけど
味は大和の吊るし柿
一皮むけば雪のはだ
小野の小町じゃあるまいか
照手姫じゃあるまいか
裏も表もきんきらきん
そら冗談そらそうね
始めがあって終わりなし
サアサアコウタサアコウータ
ハイハイアリガトサン
アリガトサン
(抜粋)